『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』が普遍的傑作である理由。

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

2017・日

新房昭之

武内宣之

Directed by Akiyuki Shinbo, Nobuyuki Takeuchi. With Suzu Hirose, Masaki Suda, Mamoru Miyano.

演出、描写への言及はありますが、ストーリーのネタバレはありません。

こじ付けじみた考察ですが、映画の理解への一助になれば幸いです。

本作には丸、円をモチーフにしたものが多く登場する。

花火を始め、まわり続ける風力発電の羽。電車の車輪など、動き出したら止められないものばかり。

時間を巻き戻せるお話ではあるが、それが人の手ではかなわないことを暗示している。

幾度となく時間をさかのぼるが、実際にはそれはかなわない。我々の生きている現実と同じことだ。

時間が巻き戻るたびにどんどんと現実味を失っていく。登場人物が矛盾したことを言ったりと、現実に沿わないことが増えていく。 やがて現実味のなさは背景にまであらわれ、淡い鉛筆画のようになったり、超現実的な風景になっていたりする。

それは、本当に時間が巻き戻ったわけではなく、「もしあのときああしていたら」 「それでもダメだったときああしていたら」と“もしも”を想像していくうちに、現実からかけ離れてしまっていく感覚を絵で表現しているのだ。

結局のところ、本作において時間が巻き戻ったりはしていない。ただただ、「あのときああしていたら」という願いが生んだ想像の世界が多層的に描かれるだけだ。

しかし、ただの夢オチとは違うのは、クライマックスの描写。降り注ぐ結晶の中に、登場人物たちは、それぞれ自分が願った可能性を幻視する。

人間は現実をありのまま受け入れて生きていけるほど強い生き物ではない。“もしかしたら”とほんのちょっとでも良いほうの可能性を想像してしまう。いや想像する力がある。それは未来への希望でも、過去への郷愁でも同じことだ。 そんな、一見むなしく思えるような幻想を美しい花火で肯定してくれる素敵な映画になっている。

しかし、その想像がいずれ消えてしまうことも示している。いずれは現実に目を向ける時が来ると突きつけてくる。それがエピローグの場面。

彼が、いやこの映画を見たあなたがどこにいるのか?過去の可能性ではなく、未来の可能性を見ているのか?

それを厳しくも優しく問いかけてくる映画なのだ。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク