『PK ピーケイ』幼年期の終わり。インドにて。

『PK ピーケイ』

PK

2014・インド

ラージクマール・ヒラーニ

IMDb 8.2

Rotten Tomatoes 93%

あらすじ:神様探してます。

渋谷ユーロライブでの試写会で鑑賞。

ザックリと感想を

コメディとしての練りこみが非常に楽しい作品です。いろいろなギャップに笑いが大げさな展開へと発展し、それが感動なテーマに結び付くという、まさに映画のすべてが詰まった作品。

監督の前作『きっと、うまくいく』が好きな方は、気に入ること間違いなしの傑作です。

インド映画らしい長尺でいろいろと予想外の方向にお話が転がるのも楽しいので、なるべく前情報なしで鑑賞することをお奨めします。

ラブストーリー、コメディ、ミュージカル、王道マサラムービー

娯楽要素をこれでもかと満載させたマサラムービー。その上、各々の要素が一つのテーマへと結びついていく緻密な脚本が素晴らしい。

インド映画のご多分に漏れず、少々わかりやすすぎる展開ばかりだが、勘所をしっかりと押さえているので安心して話に乗ることができる。

しかも王道だけにとどまらず、かなり攻めの姿勢でテーマを掘り下げているのも興味深い。

カルチャーギャップ。宗教観ギャップコメディ。

主人公は、謎の青年、通称PK(酔っ払いの意)彼は、インドの常識を揺さぶるような疑問を投げかけていく。

いちばん大きな題材となるのは宗教。もちろんインドはヒンドゥー教が多いが、キリスト教、仏教、イスラム、さまざまな宗教を信じる人がいる。

PKは最初、神様の存在さえ知らないため、願いを叶えてくれる神様に頼みごとをする。そこから宗教観を脅かすようなところまで事態が発展していく。

PKが一見常識から外れた見解を言い出す。「祈れば病気が治るのか?」

それは実は、宗教が本来持っている危うさをえぐるような意見だ。それがコメディとしての笑いを生みながら哲学的な疑問まで投げかける。

モンティ・パイソンや、映画だと『ライフ・オブ・パイ』『The Invention of Lying』のような題材だ。小説では、コメディ作品ではないものの『神は沈黙せず』のように、神は存在するのかというところまで話は発展していく。

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まとめると

前作『きっと、うまくいく』では、インドの学歴社会に対する問題提起をしっかりと伝えつつエンターテイメントに押し上げる見事な作劇を発揮していた。

今回は、さらにタブー視されている宗教を題材として、これまたエンターテイメント作品として仕上げている。

インド国内だけでなく世界各国、日本でも当てはまるような普遍的題材だ。しいて言えば、結論が一つの方向へ向かいすぎている感は否めない。もう少しだけ、古い価値観を肯定するような目線があってもよかったと思う。

↓ネタバレ感想↓

きっと、うまくいく(字幕版)
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巨大な宇宙船が、人知れずインドの荒野に現れる。

中から全裸の男、PK(アーミル・カーン)が一人地上に降り立ち、光る首飾りを操作すると宇宙船は去っていく。

イメージ映像などでは無いため、この時点で、PKは宇宙人だと明言される。

PKは、近くにいた、老人に宇宙船のリモコンを盗まれてしまう。

言葉も話せず、コミュニケーションもままならぬまま、地球に取り残されてしまった。

わかりやすい説明シーンではあるものの、後の展開として、ヒロインがこの男(PK)は宇宙人か否かを疑うのが無駄に思えてしまう。

一方遠く離れて、ベルギーの町、ブルージュ。

ジャグー(アヌシュカ・シャルマ)は放送について学ぶためインドから留学してきていた。

偶然、出会ったパキスタン人の青年サルファラーズ(Sushant Singh Rajput)と恋に落ちる。

たまたま、同じ詩人の朗読会に参加しようとして、二人してダフ屋に騙されるとう少女漫画的出会い。

かなり激甘かつ急速な展開だがインド映画らしい愛らしさと、わかりやすい“恋に落ちるミュージカルシーン”の力技で仲を深めるので問題なし。

また、ただの甘々のデュエットかと思いきや、歌詞で「生まれの話は置いておいて、ただ手を繋ぎたい」とある。宗教の違いよる今後の展開を暗示するような要素も示されている周到さ。

さらに個人的な好みだけど、自転車に二人乗りで逃げるというシーンがある。バランスの危うい乗り物に相手に信頼を寄せて乗るのは難しいことだ。それに乗って疾走する場面があれば二人の仲はもう安泰ではないでしょうか。

それから二人は同棲するまでの仲になっていた。しかしジャグーは、信心深い両親に外国人と付き合っているは言えない。

インドにいる両親と、ビデオチャットをしながら、意を決して恋人の話をする。両親は予想通り、外国人との交際に反対。さらに娘を説得するため、両親が通っている教会の導師を話に加える。

導師は、対して話も聞かないまま、交際に反対「その男は結局裏切ることになる」

ジャグーは交際に反対された悔しさと、裏切られるとの根拠のない中傷に反発するように結婚すると宣言。サルファラーズも驚きながら同意してくれる。

結婚式当日、ジャグーが式場でサルファラーズを待っていると、同じ場所で式を待っていた花嫁に猫を預かってほしいと頼まれる。

ジャグーが猫を抱えて待っていると、少年が話しかけてきた「あなたに手紙を渡すように言われた」手紙を読んでみると、そこには「結婚は二人の間だけじゃなく、家族全体の問題だ。君とは結婚できない。もう連絡しないで」

ジャグーは、悲しみに暮れてそのままインドへ帰国してしまう。

さすがに伏線が伏せてない。むき出しすぎる。猫の持ち主あての手紙なんだろうなとたいていの人には気づくので、このまま別の展開に移るのは居心地が悪い。

でもこんな誤解からすれ違うなら、サルファラーズのほうにはまったく覚えがないのだから、連絡してくるはずじゃないのか?

と思ったら終盤に回答が用意されていた。

しかし、終盤になるまでこのやきもきが続くのは少し難点かも。

デリーに戻ったジャグーはテレビ局のリポーターをしていた。

何かテレビのネタのなることはないかと考えていると、出勤途中、電車の中で奇妙なチラシを配っている男を見つける。

映画冒頭で登場していた全裸の男PKだ。多少地球に慣れた様子で服は着ている。

PK(酔っぱらい)と呼ばれている彼は、チラシを配って神様を探しているという。

ジャグーは彼の奇妙な振る舞いに興味を持つ。テレビのネタになると思い話を聞くと、PKは“ココ”にきた経緯を話し出す。

さすがに、ここからの回想は間延びして感じた。

観客はPKが宇宙人だと確信してみているのに、長々と説明が始まる。さらには、ジャグーはなかなか信じず観客との擦れ違いが続く。

にしても、革新的に核心について語る人が酔っぱらい扱いされるのはかなり皮肉っぽいネーミングだ。

PKは宇宙からきたと言い出す。宇宙船を呼び出すためのリモコンを盗まれてしまい途方に暮れていた。

周りの人に助けられながら、心を読み取って言語を習得したり、リモコンを探してさまよっていたりした。

そんな時に出会ったのが、宗教だ。神様にお願いすれば望みががかなう。

そう教わったPKは祈ったり献金したりと神頼みを繰り返す。当然ながらリモコンは戻ってこない。

方法が間違っているのではと思ったPKは、祈り方や祈り先を工夫しだす。

キリスト教会や、イスラム教、仏教、怪しげな集団の儀式に参加していく。 あまりに無垢すぎて、アンタッチャブルな領域に踏み出していく。

宗教の持っている楽観的な他力本願な要素や、あまりに多様化する宗教を見せていき、徐々に“神はいない”ことを確かめていく。

もちろん笑いは忘れない。いろんな宗派の人がPKがからかいに来てると怒り出して追いかけまわされ、多種多様な信徒に繰り返し追いかけまわされるテンドン描写は笑いが絶えなかった。

しかし、皮肉は強烈でよくインドで制作上映ができたものだと感心する。

あらゆる宗教を模索するうち、PKが出会ったのは、ジャグーの父が崇拝している導師だった。

導師は、PKのリモコンを持っていた。PKから盗んだ浮浪者から金で買ったのだ。

神秘的に光るリモコンを掲げて、ご利益のある宝玉だといっている。

リモコンを見つけたPKは大喜びして飛びつくが、警備員につまみ出される。

神の代理人であるはずの導師が、自分のリモコンを神の力が宿っていると間違っていることを言っているのを不思議に思う。

嘘を言っている、ではなく、間違ったことを言っていると思うあたりPKは人は嘘をつくということを知らないのだと分かる。このあたりも『The Invention of Lying』と共通する部分。

ジャグーは、話を聞いて興味を持つものの、宇宙人だという話はどうにも信じられない。

しかし、実際に人の心を読むのを目の当たりにして、本物だと信じるようになる。

かなり劇的な演出もされるけど、だろうなとしか思わない。

また、PKがジャグーに身の上話を語った理由として、普通の人はお金に汚いけど彼女だけはお金を恵んでくれたからだという。

これはない。

“揺れる車”から金を拝借したり、盲目の物乞いからもらったりしておいて「君だけがお金をくれた」とは言っちゃいけない。

ジャグーとPKはどうにかリモコンを取り戻せないかと考えを巡らせる。

無垢なPKは導師がただのインチキ宗教家だとは思わないようで、神様からのメッセージを間違って伝えてしまっているんだと結論を出す。

偶然ジャグーの家にかかってきた間違い電話から、間違ったメッセージを伝える“掛け間違い”だと指摘する。

つまりは、ちゃんとした神様ではなく、別のところからのメッセージを受け取ってしまっているのだ。

穏やかなようでいて、宗教家を電波扱いしているような攻めた話になっていく。

ジャグーは導師を追い詰め、リモコンを差し出すように仕向けようと“掛け間違い”をテレビで特集することを思いつく。

ここで番組の看板キャスターも導師とその信者に恨みがある設定が活きてくる。周辺の細かな人物の行動もしっかりと説得力を持っている。

PKが、導師の教えの矛盾点を指摘する場面を隠し撮りしてテレビ放送する。視聴者からも次々に反響が送られ、逃げ場をなくした導師はPKと直接対決する決意をして、特別討論番組が企画される。

視聴者投稿や、道端の石にお布施が集まるようにする実験など、かなりキレッキレの宗教批判が続く。

特になんでもない石に人々が頭を下げるさまは、まさに鰯の頭も信心から。

PKとジャグーは、二人で番組を作り上げる仲間のようになっていき、いつしかPKにはジャグーへの恋愛感情が芽生えていく。

個人的な好みだけど、PKには最後まで恋愛感情など持たずにいて欲しかった。天使のような立ち位置がいきなり人間的なところまで降りて来てしまったのでかなり違和感が大きかった。

サルファラーズの存在があるから、どうせ悲恋になるし、可愛らしいミュージカルシーンもなんだか居心地が悪い。

PKと導師の直接対決。矛盾に継いて訴えかけ、導師が劣勢に。

PKは「神様よりも、近くの人たちで助け合うべきだ」と言う。

導師は、ジャグーの恋人の話を引き合いに出し「人は裏切るものだ」と行った。

PKは前にジャグーの心を読み取っていて、サルファラーズのことも知っていた。そしてジャグーに連絡を取るように促す。

売り言葉に買い言葉で、導師は「男に気持ちが残っていたら言い分を認めてリモコンを返す」と言った。

ジャグーは、サルファラーズに連絡を試みる。通っていた大学では教えてもらえない。他ににあてがなく、パキスタン大使館で働いていたことを思い出し、大使館へ電話を掛ける。

すると、受付の女性はジャグーの名前を知っていた。

サルファラーズは、ジャグーが電話してくるかもしれないと思い。毎日大使館に連絡を取っていたのだ。

ここで観客全員がなんでお前から直接連絡しようとしないんだよ!と突っ込みを入れようとすると、爆笑の答えが、結婚式場でジャグーがサルファラーズからだと勘違いした手紙に「連絡しないで」と書かれていた。置いて行かれた手紙をあとから来たサルファラーズが読んでジャグーに連絡はせず、待つことにしようと決めたのだ。

ものすごい感動のピークにしょーもないギャグを放り込んで矛盾を一掃する。

他では体感したことのない感情が沸き起こる。劇場内では一番の笑いが起きていた。

サルファラーズが連絡してこないことにかなりの時間やきもきしていたけど、この笑いで帳消し。

『ビフォア・サンライズ』でこんなセリフがあった「神様みたいなものがいるとしたら、空の上じゃなくて、人と人との間に存在するんだと思う」 神秘性はひととひととの見えないつながりの中に存在し、そこから助け合い支えあうことができるとPKは教えてくれているのだろう。

導師は、サルファラーズがずっとジャグーを想っていたことに何も言えなくなってしまう。

すると、ジャグーの父は導師をたしなめ、リモコンを手に取るとPKに手渡した。

リモコンを手渡すだけで、父親が娘への仕打ちの後悔と改心を表すのが素晴らしい。

ここで現行の宗教は完全に死を迎えたように見える。 結果として大団円を迎えたように見えるけど、これで完全に「神は死んだ」状態になってしまったようにとれる。

本来の宗教は、現実のままならない部分を心の作用で支えるために存在するはずだ。

本作に出てくるような、守銭奴の導師とは違って、本来の宗教を信じてる人もいて、それを支えに生きている人もいる。そこに対するフォローはほぼない。『The Invention of Lying』では、死にゆく恐怖を和らげるためのウソとして、優しさから宗教が生まれたという描き方がされていた。

そうしたポジティブな側面がすこしほしかった。

完全に宗教、宗教的なものを捨て去れるのは超人だけのはず。

リモコンを取り戻したPKは地球を去っていった。
少しあとになり、ジャグーとサルファラーズは一緒になり、父親との関係も良好に。ジャグーはPKとの出会いを本にして、朗読会を開いていた。

PKとの別れの場面で、ジャグーへの思いがとりだたされるけども、やっぱり恋愛要素は納まりが悪い。

できれば、お世話になった親父さんとか、言語学習に付き合ってくれた人とか、多くの人達の思い出の方を優先させてほしかった。

それからしばらくして、PKは地球に戻ってきた。たくさんの仲間を連れて。

ここから本格的な交流が始まる。

そんな予感をさせながら終幕。

仲間の一人に、ランビール・カプールが登場、

全体を通して、間延びする展開や、突拍子もない話を、笑いで惹きつけていく手腕は見事。

先鋭的かつ革新的テーマとそこに話を自然に持っていく作劇、とにかく脚本が素晴らしかった。

でもやっぱりメッセージが手厳しい印象。それは希望というにはあまりにハードルが高く、現行人類に対するあきらめのようにも思える。もしかしたら子供たちはそれをかなえることはできるかもしれない。『幼年期の終わり』に登場する子供たちの相当するキャラクターがいればもうすこし希望が感じられたかも。