『ミュージアム』後半からの怒涛の展開。全力の愁嘆場が生み出すグルーヴ感。

『ミュージアム』

2016・日

大友啓史

IMDb 5.8

Filmarks 3.8

前半の感想はこちら

『ミュージアム』前半、セブそうでセブくない、少しセブいセブン。
『ミュージアム』 2016・日 大友啓史 IMDb 5.8 Filmarks 3.8 良 ...

後半からなので、ネタバレばっかりです。

↓ネタバレ感想↓

沢村が病院で、西野の遺体を前に決意を新たにする場面。

廊下に出ると、婚約者が、全力疾走で文字通り駆けつけてくるのがたまらない。廊下が無駄に長いせいで足音を響かせながら走ってくる。もっと短い場所にするかカットしてあげて。

謹慎を無視しての行動を問題視された沢村。重要参考人として呼び出されるが、逃走してカエル男を単独で追うことにする。

大友監督、完全実写化を断念。

逃亡中、沢村が銃を購入する場面。

原作では、(前振りなし)怪しげな(前振りなし)靴磨きの男が、どうやら(前振りなし)沢村に(前振りなし)世話になっていたようで、(前振りなし)銃の購入を手助けしてくれる。

だが映画版は、(前振りなし)裏路地で(前振りなし)謎の(前振りなし)売人から銃を買う。

がっかりだよ監督!だめだよ実写化あきらめちゃ、ここもやっておかないと、怪しい靴磨きとかフライングコップの再現ができたじゃないの。がっかりだよ。

カエル男の正体には、まったく手がかりがない。

沢村はカエル男の様子で、肌を掻きむしっていたことを思い出した。あの時も、陽光が差してきて立ち去ろうとしていた。今までも雨の日しか行動していない。

真実に辿り着くきっかけとなるのが本作屈指の名場面

中華料理店で考えを巡らせている沢村。

客の一人が騒ぎ出した。

「ちょっとこれ作った人、出てきてください。俺、中華丼のエビ抜きっていったよね」おびえる店員にさらに続けて「じんましんでるところだったよ!好き嫌いの問題じゃねぇんだよ。アレルギーなんだから命に関わるんだよ!こんな店二度と来ねぇよ!」

激高し店を出ていく。

沢村はひらめいた。アレルギー!?そうか!

日光にアレルギーがあるのではと思い立つ。

原作にもあるエビ兄さんのシーン。なくてもぎりぎり沢村の推理は成り立つのにリアリティより完全実写化を優先しこの場面を入れてくれる。

そして熱演を披露するエビ兄さん。素晴らしいシーンだ。

沢村は、ネットカフェに入り、日光アレルギー、光線過敏症の情報を調べ、近くのアレルギー科のある病院をたずね歩く。何件か探しても見つからず、医者に紹介してもらった研究所で話を聞くことに。

特に必要のない回り道。はじめっから研究所でもいいのよ。

研究員の尾頭ヒロミ(市川実日子)に症状の重い患者の情報を聞き出す。

令状を要求する尾頭に拳銃を突きつけ「これが令状だ」

あるある。いまどきフィクションでさえみないフィクションみたいなやりとりがミュージアムの魅力なんだよな。

尾頭に聞いた家は霧島という資産家の家。

数年前惨殺事件のあった場所。カエル男の正体=霧島は、被害者の遺族。

沢村は屋敷に入り、狭い部屋に行きつく、そこには、カエル男事件の現場を再現したミニチュアや、被害者たちの資料などが所狭しと置かれていた。

それを見ている沢村は、すぐ後ろにいたカエル男に殴られ気絶させられてしまう。

部屋の様子に詳しくは、『セブン』のジョン・ドウの部屋、ドラマ『CSI』の模型殺人の回をご覧ください。

沢村が気絶するまで、特に必要のない格闘シーンがある。病弱設定が発覚しても相変わらず武闘派のカエル君。沢村をすぐに気絶させるわけでもなく、積極的に殴り合いを仕掛ける。なんだかフェアな奴。

でもバールのL字の部分が背中に刺さるってのはけっこうフレッシュ。

沢村が眼を覚ますと、地下室のような場所に監禁されていた。

扉には操作パネルがついており、アルファベットの解除キーを入力しないと外には出られない。

監禁部屋の中には、2体のマネキンが置かれていた。大人の女性と子供のマネキン。沢村の妻と息子が浚われたときに来ていた服を着せられている。

部屋の中にあったジグソーパズルを解けば、解除コードがわかるようだ。

他に手もなく、沢村はパズルを組み始める。

時間は経過し、空腹に耐えられなくなった頃、排気口から包みが投げ込まれる。

紙に包まれたハンバーガーだ。形がみすぼらしく、手作りのようだ。

殺すならわざわざこんなことはしないはず。毒は入っていないと踏んだ沢村はハンバーガーを食べる。

一方カエル君は

ハンバーガーを作っていたのはカエル男だった。汚らしい道具を使い、お手製のひき肉を作っている。

ドッグフードの刑の場面で、人の死体とそれにたかるハエを結びつけておいて、この場面でも、ひき肉機にハエがたかっていて嫌な予感をあおる。

そしてカエル君が口ずさむ名曲メトロポリタン美術館。ミュージアムといえばこれ、沢村を作品化するというニュアンスが込められていいチョイス。(原作通り)

しかし後々このシーンが何の意味もないことがわかる。

そのころ外では、沢村の上司、井之頭五郎(松重豊)が沢村の後を追っていた。

映画としても後を追いすぎ。マンガ喫茶→医者たち→研究所。マンガ喫茶の検索履歴を確認しただけで観客は察してくれるよ。丁寧。

沢村がジグソーパズルを組んでいくと、絵が現れ始める。

それは沢村の息子が描いた家族の写真だった。

すると外からカエル男の声が聞こえる。

「僕は君を尊敬してるんだ。僕でもあんな殺し方はできない。手も使わず傷もつけず。心だけを殺すなんて」

仕事ばかりで家族をないがしろにしてきた沢村を、“心を殺したアーティスト”として同類として認めていたのだ。

論法が飛躍しすぎだけど、ちょっといいこと言ってないか。

暗に、家族に構っていなかった沢村を責めているみたいだし。

なにより、心を殺したことがわかるのは、サイコパスじゃなくて人に共感できるヒューマニストだよね。

カエル君実はいい人なのかもしれない!

でも沢村に○肉食べさせてたみたいだしなー(ミスリード)

カエル男のいい話し指摘に沢村は打ちのめされ、息子の服を着たマネキンに泣きながらすがりつく。

「殺してないよな?」

愁嘆場もここまで飛躍してくれれば楽しい限り。もはや家族ドラマというより観念的な舞台演劇のようだ。

別に観客が疑問に思ってもいないのに回想シーン、

沢村は、昔のことを思い出していた。

高校生のとき、母が死んでから刑事である父とはぎくしゃくしていた。

今そんな場合なのか?映画としても、沢村の心理としても。

ある日、父が通り魔に刺されて死亡したと聞かされる。

駆けつけると、そこに、見知らぬ母娘がいた。

「あなたのお父さんが娘を守るためにかばってくれた。感謝してもしきれない」

娘にも「ありがとう」と言われた。

ここの母親の演技が秀逸。愁嘆場を煮詰めて結晶化したみたいな純度の高すぎる泣きの演技。

そして回想シーンから回想に入って父が通り魔を食い止める様子が映される。

父役の大森南朋が短いシーンながら鮮烈な存在感を発揮。

昼間の公園のど真ん中で、いきなり狂い出した通り魔。(通り魔通り魔としたいかにもな通り魔)

刃物を取りだしたのを見て、父は少女を守るため躍り出る。通り魔を押さえつけ、刺されながらも、手錠で自分の腕と通り魔の足を結んで押さえつける。

満身創痍。こと切れる前にタバコを取りだして一服。

最後の一服。あるある。

手錠で足を固定されて所在なさげな通り魔もたまらないものがある。

沢村は父の最期を聞いて、刑事になる決意をした。

別にいま(監禁中)訊いてねぇし。

とはいえ、真面目な話をすると、父親との関係に不和がある→自分も父親としてふるまえない。は納得できる。

しかし沢村は、尊敬できない父親の最期を聞いて、考えを改めて刑事になった。この時点でしっかりとした父親になれると思うんだけども、結果として一度も息子の誕生日を祝わないクズへと成長を遂げている。

回想の回想から戻って現在

ジグソーパズルが完成に近づくが、ピースが足りない。

よく見ると欠けている部分が文字になっている。

EAT。

気づくの遅いな。途中で文字っぽいとか思わないのか。

EAT=食べる。

その言葉を聞いて戦慄する沢村。まずいハンバーグ、パズルには家族の絵、食べる。

そして観客の脳裏にはひき肉を作るカエル男の映像。

沢村は、急いで、ドアのパネルにキーを打ち込む。

ドアが開くと、調理器具やひき肉機が散乱した部屋。皿には妻のものと思われる長い髪の毛がこびりついている。

部屋を見渡すと冷蔵庫がある。扉には沢村の家族写真が。

最悪の想像をしながら扉を開けると、中には妻と息子の生首が入っていた。

慟哭する沢村。

首をきれいに落としているのに何で、皿に髪の毛が付いてたのかしら。

観客も最悪のラスト(公式キャッチコピーより)に戦慄していると、カエル男からフォローが入る。

安心してください。生きてます!

別の部屋で、カエル男は隠しカメラの映像を見ていた。慟哭する沢村を見て、喜ぶカエル。

「夫に何をしたのよ?!」拘束されている沢村の妻が問いかける。息子とともに生きていたのだ。

あれ?生きてるよ?

冷蔵庫の中の生首はカエル男が作った偽物だったのだ。

何それすごい。

ハリウッドで活躍できるレベル。っていうか、そのほうが実際にアーティストとしてちやほやされたでしょうに。

あとで知ったけど、実際に特殊メイクアーティストらしいです。

樹脂詰め死体より、自分で人形作った方が注目されたよね。

にしても、妻と息子が生きててよかった。これで安心してハンバーガーが食べられるよ! 観客のトラウマを回避してくれる安心設計。 やっぱカエル君いいやつなんじゃないか?

でも、カニバリズム(フェイント)以上の最悪のラストってなんなんだろう。

夫を捨てたことが罪だとか言い出すなら、“身も心も夫にささげるの刑”でよかったのではないか。

ここのツイストは作品を薄味にする以外にはまったく意味がない。(一説によると、原作の時点で、編集からマイルドにするようお達しがあり、原作者の不満の残る改変がされたらしい)

ずっと疑問に思っていましたが漫画ミュージアムの最終回が、中途半端だなと・・・。でも、最終回に登場したフリーライターが持っている名刺にURLが記載されている??ネタバレしましょう!

カエル男は次の“私刑”の準備をする。

標的は沢村の妻。彼女にカエルの覆面をつける。そのまま沢村に撃ち殺されれば息子は助けてやるというのだ。

カエル男は沢村をおびき出し、逃げる途中に入れ替わる。

沢村は自分の妻とは気づかず銃口を向ける。

すると、妻は倒れてむせび泣く。

およおよ泣き出しちゃったら、カエルじゃないって気づくよね。だめだよしっかりと殺されに行かないと。

案の定気づく沢村。仮面を取り自分の妻だと確認する。

正直のこの場面は難しすぎる。さっきまで胃の中にいたと思っていた妻が生きていてかつカエル男と入れ替わっていて、でも生きいていることに気づいて撃たずにすんだ。

状況はちゃんと理解できるが、沢村の心境はどんなものか全く想像がついていかない。

妻は錯乱したように、銃口を額に押し付け、引き金を引くように促す。

「私を殺して!」

自分で引き金は引かないのか。

このシーンから、役者たちの熱演がおかしくなっていく。

殺してと懇願する尾野真千子、

どうしたものかと小栗旬、

たのしそうな妻夫木聡。

他の邦画でなら、どこに注目していいかわからなくなるようなやかましい場面になってしまう。

しかし本作の場合は、その熱量が臨界点を超えて高いため、なんだか見ているこちらも血がたぎってくるような高揚感が味わえる。

沢村が撃たないのを見かねて、息子を盾にし、カエル男が現れる。

「エンディングは三つあった」

意味深なことを言っているようだけど、まだ終わってないから、途中だから。

「母親が死んで、父と息子が生き残るエンディング。僕を撃ち殺して家族三人が生き残るハッピーエンド。そうしてもう一つは」

言いかけてその時、井之頭五郎が到着。

焦ったカエル男は逃げ出す。

最後の最後までダサい。撃たれる覚悟で一人くらい殺しておけばよかったのに。

やっぱいいやつなんだなカエル。

自分が撃たれて、家族全員が生き残るのも想定内みたいだし。

カニバリズムフェイントといい、自宅を監視していたりとか、息子の絵を入手したりとかなり一家にご執心の様子。

つまり、最初から沢村一家に手を出す気はなかったんだ!

カエル君は自らの命を犠牲にして、沢村一家を再生させたかったんだよ!

カエル男が逃げて、家の外に飛び出す。

外は晴天、アレルギーが悪化し、カエル男は気絶。そのまま逮捕された。

こうして事件の幕は下りた。

そんでもって、

邦画で恒例のエピローグ祭り。

エピローグ1

沢村は、西野の実家で線香をあげる。

お菓子を進められて、遠慮しない沢村。細かいボケ。

一番供養してあげるべきは、冤罪被害者の人だろうに。

エピローグ2

沢村の妻が息子と帰宅していると、新聞記者の男に声をかけられる。

「無実の人を死に追いやった気分はどうですか」

ザ・嫌な記者といった質問だけど、この映画の流れで、カエル男事件より先に、冤罪事件のインタビューされるってのは、そっち?ってなる。 いま旬なのはそれじゃないだろ、誘拐されて殺されかけた話を聞きなさいよ。

この場面は、完全に、ほうら裁判員制度のもんだいって根深いですよねーとアピールがせり出している。

妊婦が裁判員を担当して、ストレスが嵩んで流産して。それが冤罪で、真犯人は連続殺人性向があり、次の標的にされる。

問題とイレギュラーがかさみすぎて、何を問題提起したいかさっぱりわからないよ。

問題なのは裁判員かどうかでなくて、冤罪はいつなんどきだって問題だけどね。

エピローグ3

カエル男は、事件以来こん睡状態。

担当医である尾頭ヒロミが見舞いに来る。彼女は、点滴に薬を混入させる。するとカエル男は痙攣して息を引き取る。

容体が急変したときの看護師のリアクションが妙だ。「あなたなにしたの!?」とまず見舞いに来たやつを疑う姿勢。

別に容体が急変することくらいあるだろうに。疑われてそのまま見張りの警官に逮捕されるというスムースな展開。

エピローグ4

沢村は、珍しく息子の運動会を見に来ていた。

ビデオカメラ越しに息子を撮影する。

これからはちゃんと家族をやっていこうと決意する。

しかしそのカメラの向こうの息子は、体を掻いていた。カエル男のように。

息子に悪意が向けられたため、心因性の日光アレルギーが発症し、第二のカエル男となってしまうことを暗示している。

ことはわかるけど、

全然うまくない。

というか意味わからん。

もともとのカエル男は両親を惨殺されて心を病んでしまったわけだが、沢村の息子は、悲惨な事件に巻き込まれたとはいえ両親は健在。しかも事件によって家族の絆は強まっているはず。いくら下世話な雑誌記者がインタビューしようと猟奇殺人者にはならないだろうに。

もしかして、精神が壊れている描写じゃなくてただ単にストレスでアレルギーの発症が懸念されただけのエンディングだったら思わせぶりすぎて笑える。

そもそも子供に実在感なんてない。

大友監督は、家族の物語として描いたと言っていたけど、このエンディングから見えてくるのは、結局夫婦がどうれだけ愛情を注いで頑張ろうとも、社会の悪意には問答無用で染まってしまうってことじゃないの。

にしてもこんなのが現代の家族だなんて片腹痛いよね。昭和だったらまだしも、妻だって主体性なさすぎる。5回誕生日をすっとばす父親なんて、誰だって共感できないし。

私たち、問題のある家族でーすって横断幕掲げてるだけじゃないか。なんの現実味もない、フィクションのあるある家庭像でしかないのになに真面目ぶってんだ?

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おしまいに

ゆるめのスリラーとしてはそこそこ楽しい。近年なかなか拝めないいかにもフィクショナルなやり取りはかなり面白かった。

そして後半の異常な熱量は、普段だったら辟易するような要素だけど、あまりの頑張りに他では体験できない高揚感を覚えた。

総じて嫌いじゃない、といえる作品だ。

だけど、家族ドラマだとか、裁判員制度の問題だとかを考えたり、セブンと比べるにはあまりにもろい映画なのであまり持ち上げすぎずにそっと楽しむのが一番だと思った。

後日、映倫が全年齢指定した理由を確認した件