『ラブライブ!The School Idol Movie』後半、飛行機墜落で全員死亡していた説。

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『ラブライブ!The School Idol Movie』帰国編

あらすじ:前ふりはないけどイベントやりたい。

前半の感想はこちら。

『ラブライブ!The School Idol Movie』前半 ニューヨークでの死神との邂逅。
『ラブライブ!The School Idol Movie』海外編 2015・日 京極尚彦 IMDb 7.4...

後半から、

花田先生の脚本の腕はさておき、

いよいよもって、コミュニケーション能力に疑問が浮かび始める。

その犠牲となるのは、もちろんキャラクターたちだ。彼女たちの知性は下降の一途をたどる。

話題になっていますよ。→こんな話題になるなんて

この流れは、鳥頭としか思えない。自分で話を振っておいて数秒後にもう忘れている。

そしてクライマックスの流れも支離滅裂。

スクールアイドルみんながすごいんだよ。とイベントを企画し、

スクールアイドルでなくても参加OKといういい加減さ。

もはやスクールアイドルにリスペクトは一切ない。

↓ネタバレ感想↓

帰国

飛行機が日本に降り立つと、ホノカは窓から見える太陽がきれいだといいだす。

本来は、ただの日の光も海外で見るから格別に見えるという演出にすべきではないのか。なぜかおなじみの日本での光景に感動している。おうちが一番という『オズの魔法使』を意識してるのか。

「またいつか行こうね」というセリフもなぜだか、帰国後の会話だ。そして死亡フラグっぽいセリフ。

空港ロビーに出てみると大勢のファンが詰めかけていた。

空港ロビーでの展開は、シリーズ屈指の低能シーンになっている。

まず、ハナヨが携帯を確認し、海外ライブの中継が評判になっています。と報告。

すると、ロビーの人々がメンバーに熱い視線を送っている様子。

なぜか狼狽えるメンバー。「もしかしてスナイパー?」と高度すぎるボケを放り込んでくる。

海外でライブ中継を済ませているのだから、空港に出待ちがいても不思議ではない。

・ましてや、ハナヨが評判になっているという現状をチェックしている

もともと、学校にファンが来るくらい人気があるグループである。

スナイパーは遠距離射撃する人で、近くに潜む人ではない。

何重にも迂回した曲解とスカシの混ぜ込んだ高度すぎるボケ。なんとツッコんでいいかわからない。

スイーパーなら言葉としても納得できるけど。

『ザ・マジックアワー』の三谷幸喜といい、脚本家用百科事典のスナイパーの項目は間違って掲載されているんじゃないか。

一躍でもなんでもないのに、人気者になったことに戸惑うメンバー。

甲子園の優勝校だったらそれなりにちやほやもされるし、海外で招待試合でもしたらマスコミも大騒ぎだろ。

スクールアイドルはどれだけ身分が低いと思っているんだ?、セパタクローで海外に行っても小さい記事くらいにはなるだろうに。設定のリアリティのなさに脚本家自身も翻弄されているような展開。リアリティがないという話ではない。リアリティが全く統一されていないことが問題だ。

さらにウミは、こんなに注目されるのは耐えられないと半泣きになる。

お前、人前にでる快感に目覚めたとか言ってなかったか?

相変わらず、花田十輝はシリーズを通しての構成力はもちろんのこと記憶力さえないのか。

ニコはというと、話題の中心となったことに調子に乗った発言をする。

ここはニコらしい反応だが、ここからのミュージカルシーンがおかしい。

けども、ニューヨークでいきなり狂いだしリンを見ているので、それほど驚きはしない。

しかし、今回歌うのは、ニコ、エリ、ノゾミ。人選がおかしい、浮かれているニコのためみたいな楽曲なのに、冷静な大人担当の二人が一緒に歌っている。無理して合わせているのか、とち狂ったのか。

あまりに海外ライブの評判がいいので、まーたやめるだのやめないだの解散について悩み始める。

テレビシリーズでは、まったく論理性を欠いた結論ありきの解散宣言をしていた。

無意味な結論をさらに焼き増しさせるという辟易する展開。

理事長からもお達しが「ラブライブを盛り上げるためにアライズとμ’sのちからが必要と”みんな”が思っているみたいよ」

”みんな”で伝わると思っているあたりに花田十輝と観客とのなあなあな関係が見て取れる。

汲み取って言えば、現実のμ’s ファンを指しているとも取れる。

ただ作中に、現実のファンと呼応する作中のファンは一切登場しないのでただの甘えだ。この世界に男は存在しない。

『アイドルマスター』ではサイリウムを振る現実に則した奴らが好意的に登場していたが、ラブライバーは潔癖なのか作品内には男は存在しないのだ。

ホノカが性懲りもなく解散続行思案にふけっているとアライズリーダーからメールで呼び出しがかかる。

ホノカが到着するとリーダーは「ホノカさん」呼び出しておいてなんで疑問符が付くんだ?

キャラクターを殺すには刃物は要らぬ。セリフ一つがあればいい。花田十輝。(もちろんそんな発言はない)

アライズメンバーと車で話をするホノカ。

(未成年のくせにウェットバー付きのリムジンに乗っている。しかも自分たちの曲を流しながらのドライブ)

アライズはスクールアイドルを卒業しても、アイドルとして活動するとのこと。μ’s も活動を続けてほしいと言ってきた

アライズは非常にまっとうな存在だ。スクールアイドルというアイドルごっこを卒業し、修羅の国、芸能界へ進むこと決意している。

かたやμ’s はというと、大学やら就職やらフツーの人生の展望もなく、かといって本業アイドルを選択する度胸もない

もしかしたらコトリだけ留学の逃げ道を確保しているかもしれないが。

アライズの真摯姿勢があると、よけいにμ’s の甘えが強調されてしまう。

特に理由づけもなく、9人こそがμ’s だのスクールアイドルにこだわりたいだの言ったって、結局は遊びですむアイドルごっこにとどめておきたいってことでしょう。

ご当地アイドルのメンバーが就活でイベント休んで、内定が決まって引退するようなものだ。応援しているファンに対して失礼だ。

引退するアイドルを応援するという言い回しもあるが、それは女優に転身するとか、結婚生活にうつるとか、その後の未来があってこそだ。

未来のないμ’s がただ引退するだけでは応援の対象にはならない。

アライズのことばに心ゆらめくホノカ。

ほかの続編モノも通じる問題だけど、今までのお話はほぼ無意味となった。おなじ葛藤をリサイクルするのはよくない。

アライズと別れ、町を歩いていると。

死神が再登場する。

雨の中、アンプを出して歌う女性シンガーを見かける。ニューヨークで出会ったあの人だ。

客を感電死させるつもりなのか。

「また会えた」

再会を喜ぶ二人。

国が違うことさえ気にかけていない様子。世界は狭いといったレベルではない。世界は二ヶ所といった異常な世界観だ。水の溜まった盆の上にアキバとニューヨークだけが浮かんでいるのかもしれいない。

そして、死神彼女が使っているマイクを指してホノカが驚く。「マイク、私のうちにもあります」

やはり、あのマイクは存在していたようだ。

この映画の続編が作られたら、二つのマイクを重ね合わせて、宇宙が崩壊する展開が描かれるに違いない。

死神と再びの邂逅。

この場面で、作品に漂う死の予感が確信へと変わる。

ほかのメンバーの生死は定かではないが、ホノカは確実に死んでいる。

「答えは見つかった?」不意に死神彼女が尋ねる。

「飛べるよ。あのころのように」死神彼女のことばに反応するように周囲の風景が一変する。普通の街並みが突如、幻想的な花畑へと変わっていた。

画面の色彩も淡いものになり光源不明の幻想的な色合いに変化し、演出意図としても超現実てきな場面となっている。

ホノカの目の前には、花畑そして湖がある。

幼き日の水たまりを飛び越える場面と重なってはいるものの、水たまりといったものではなく、湖や大河のようだ。

ホノカは意を決してそれを跳び越えようと走り、そして飛んだ。

トンでます。これはかなりトンでます。

彼女は河の向こう側へと飛び越えていった。境界をまたいだのだ。

三途のを渡ったホノカは解散する決心が固まったようだ。

「夢中になれたから、最高に楽しかったから」

だからなんだ。今までを肯定しても解散の理由にはならないだろう。

真っ白に燃え尽きたってのか。

もしかして、死期を悟ったから、解散を決めたのだろうか。

成仏する前解散前にスクールアイドルを集めてイベントがやりたいと言い出すホノカ。

「μ’s やアライズだけじゃなくて、スクールアイドルみんながすごいって」そんなライブがやりたいらしい。

テレビシリーズでは、声さえ聞こえず動いたこともない有象無象のことか。

興奮するメンバー「すごいイベントになります」

魂のないゾンビどもが集まったらさぞかしすごい画になります。

全国に参加を募ろうと息巻くホノカ。

「会いにいこう!」さらには「マキちゃん電車賃貸して」

ゲスだ。

金持ちキャラの懐を当てにする主人公がいただろうか。

なんで現実味のない海外渡航した後に、足代のリアリティなんて気にするんだ。ほんとうに花田は自分で書いた脚本に幻惑されて倫理観がおかしくなってるんじゃないか。

その間、残りの三人のミュージカルが学校で開催される。人気のない、それでいて小奇麗な校舎。相変わらず、この学校は世界崩壊後の趣がある。

各地に勧誘にいくメンバー。二つ返事でOKしてくれる者もいれば、条件を突きつける者もいる。

「ステージに勝ったら出てあげるわ!」

ここは、むしろ現実味がなくてよかった。どこでもデュエルできるカードゲームの世界みたいだ。いっそのこと、アイドルポイントを競ってなぐり合うくらいなら、リアリティにケチつけるひともいなくなるだろうに。

なまじ、存在するアイドルという概念を使ってしまっているのが敗因だろう。

『AKB0048』の宇宙レジスタンスアイドルのほうが作品内リアリティは保たれている。

着々と準備が進む中、驚愕の展開が。

ホノカの妹たちはその様子を見て羨ましそうにしている。

ホノカは参加を促す。まだ中学生である妹たちは戸惑いながら尋ねた。

「スクールアイドルじゃなくてもいいの?」

皆が応える「大丈夫!」

大丈夫じゃねぇよ!

さんざんっぱらスクールアイドルの素晴らしさとかいっておきながら、中坊が参加してるとか意味がわからねぇ

「伝えようスクールアイドル素晴らしさを!」

その宣言とともにイベントが始まる。

スクールアイドルじゃねぇのが混じってるけどな。

秋葉原の大通りで蠢くゾンビたちの群れ。

みんながすごい、というコンセプトの元集められた有象無象は、結局バックダンサー扱い。

μ’s だけが開けた場所で踊る。

唯一タメをはれるアライズは、別の場所に追いやられる。

主催のμ’s への批判は避けられないだろう。

そして全くリアリティのないイベント場面に手遅れな説明を付け足す。

なぜだか、イベント本番中に準備場面をインサートする。

後付で訓練シーンを入れるようなものだ。

『ロッキー』を見直して編集の勉強をしたほうがいい。

訓練シーンの前フリ→本番中にインサート。

訓練シーン→本番中に逆境があり鼓舞するためにインサート。

本作は、どちらでもないため、ただの後付けが本番のライブを邪魔している。

どうせ現実味がないのだからそこは開き直ってもいいでしょうに。

路上ライブの曲の終り、キメの部分で映るのはホノカ、コトリ、ニコ。人気の二人とリーダーをお情けで映している。

参加者全員とは言わないけど、せめてμ’s の九人は映してあげましょうよ。

記念撮影でももちろんμ’s が中心。このあと、参加者が文句をツイートして炎上するのは目に見えている。

その後、無駄な数年後の様子を挟んで、また数年前に戻る。

妹組の成長を描くにしても、本当に無駄なうえに、回りくどい。

そして、本当のラストライブ。アキバドームでの場面を写しエンディングへ

メンバーが円陣を組んでいる位置に、スポットライトが当たっている。緞帳に区切られているため、天から光が降り注いでいるような画だ。

これは昇天のイメージだろう。

彼女たちの死を決定的なものにしているのは、エンディング曲の場面。

曲を歌い踊っている場所は、蓮の花の上。暗喩ではなく、直接的な描写だ。ここは極楽浄土である。

エンディング曲の歌詞はメンバーの名前が散りばめられていて、なかなか技巧的だけど、それにとらわれておさまりが悪い。

とくにエリの名前が「絵をかいた」と漢字表記に引っ掛けているのに。マキの場合は「巻き戻して」と音を拾っている。

素直に感動しきれない消化不良な作詞。さすがの畑亜貴先生もこれはあきらめたほうがよかったのではないか。

エンドロール後。

最後は芝生におかれた衣服。遺留品が映されて終了。

生前にライブを開催したセントラルパークに、彼女たちの魂が在るという暗示だろう。

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