『君の名は。』もはや震災後ではない。3.11をファンタジーで否認できる幸福。

『君の名は。』について震災を絡めて語ることについて。

本編のネタバレは無いですが、結末が察せる内容です。

『君の名は。』は、物語の構造上、3.11後の喪失について描いた作品とは言えない。

喪失を描く物語として、その後の回復までが描かれていない夢物語だからだ。

喪失についての向き合い方について思い当った曲。

Of Monsters and Men – Little Talks

歌詞、訳詞は→こちら

悲しみの5段階

悲しみの5段階とは、 エリザベス・キューブラー=ロスが提唱した、喪失を体験した際の心の流れ。

人が 死や喪失、受け入れがたい事実を前にして人はどのように反応するか。

第1段階 否認、茫然とし事実を受け入れられない。

第2段階 怒り、事実の不条理さに怒りを覚える。

第3段階 取引、抵抗、回避しようと手段を探してあがく。

第4段階 抑うつ、取引はできず無力感にさいなまれる。

第5段階 受容、悲しみからの再起。

事実を否定する物語。

『君の名は。』は言わば、初段階のショック状態のまま話が終わってしまう。もしくは、本来成立しないはずの取引が成立してしまう作品であり、まったく再起が得られない物語だ。

第一段階のショック状態とは、事実をしり茫然とした状態、また、そのようなことはありえないと否定する段階。

本編では村を案内され、必死に名簿から名前を探そうとする行為はまさに、否認行動といえる。

成立しないはずの取引。

この映画は、事実を否定し捻じ曲げるお話になっている。

喪失などなかったともがくことにより、結果として事実をゆがめることに成功している。

もちろんエンターテイメントとして、まったく問題はない。気分よく、劇場を後にできるさわやかで素敵な作品だ。

類似作品でもお気楽なハッピーエンドが選択されることの方が多い。

しかし、いくつかの感想で、311震災を扱った映画という見識が見受けられる。

健全なハッピーエンドを、不健全にするこじ付け。

震災とどう向き合っていくか、それを考える場合、どうあがいても5段階目に進むしか道はない。起きたことは覆すことは絶対にできないからだ。

にもかかわらず、実際の悲劇を描いていると関連付けてしまう。

1段階目で思考が止まっていて、本来叶うはずもない4段階目の願望が叶ってしまう映画に対し、それを持ち出すこことで、かえってこの映画が否認段階で終わってしまっている不健全さを不用意に浮き彫りにしてしまっている。

もはや震災後ではない。

この映画が、どのような信念を持って作られたどうかは別にして、この映画を311を描いているととらえて感動できるのは、もはや喪失感などなく、歴史の一部として過去に追いやることができているからだ。

奇しくも 1953年の『君の名は』も戦争を、男女のすれ違いの舞台建てと使用したラブストーリーだ。目を背けたくなる現実ではなく、娯楽として消化できる題材へと変化していっている。

本来、大きな傷痕というのはそうそう癒えるものではない。受け入れてともに歩んでいくしかない。しかし 『君の名は。』 は、その傷痕をなかったことにする結末だ。

311と絡めて語ることができるのは、ファンタジーとして処理できる幸福な人間だけだ。

その他の映画での喪失との向かい方。

『君の名は。』を見て『ブレイブ・ストーリー』の映画版を思い出した。原作版では、残酷な現実はそのままで主人公は家に帰る。映画版では、口当たりの良さを優先させ、無残に死んだ幼い妹が生き返るというハッピーエンドが付け足されている。

『君の名は。』についていえば、終わり方は『ブレイブ・ストーリー』映画版と同じ、口当たりの良さを優先させている。劇映画としては申し分ないし、それを否定する気は一切ない。

喪失を無かったことにする映画であって、喪失と向かい合い癒すための映画ではない。いわばまったく苦味などないもので、おキレイな映画として楽しむ以外にないはずだ。

『つぐない』でも喪失を否定するために、物語を描く小説家が登場する。この場合は、自分自身で、喪失を否定し、せめてフィクションの中だけでもハッピーエンドにしたいという客観性が持てている。なにより、作品として、それは幻想でしかないという冷静さがしっかりと描けている。

『君の名は。』 でも、“本当は叶わない結末”であると感じ取れる要素があれば、喪失を描いた物語になっていたかもしれない。

再起するためには、痛みを否定することはできない。

『その街のこども』で親友が生き返ることはない。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の父親も『ラビットホール』の息子も帰ってはこない。それでも、心のどこか、可能性のどこかに居場所を作ることによって、居なくなったことを受け入れるのが癒しと言えるはずだ。

先述の楽曲、Little Talksの歌詞にこうある。

Now wait, wait, wait for me

Please hang around

I see you when I fall asleep

待ってくれ、このままでいい。

僕らが会うのは、夢の中だけでいいんだ。

折り合いを付けるしかない。現実を捻じ曲げることなどできない。唯一変えられるのは、捉え方だけだ。

それはただの想像でしかない。しかし、お星さまになったとか、天国にいるといったせめてもの希望があることによって、救われる人はいる。

しかし 『君の名は。』 で癒された気になるのは、端から傷などないか、ファンタジーに行ったきりになって、現実には帰って来られない人でしかない。『サイコ』のノーマン・ベイツとか、家族を捨てる『未知との遭遇』みたいなものだ。

悲劇をなかったことにしてしまう物語は、別に不健全ではない。素敵なファンタジーだ。しかしのその作品を「震災を扱っている」として語ることにより、相対的に、綺麗事としての毒気を浮き上がらせてしまっている。

映画としての、フツーの感想。

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