『君の名は。』矛盾も違和感もなぎ払う。新海誠の圧倒的雰囲気力。

kimi_no_na_wa

『君の名は。』

2016・日

新海誠

IMDb 8.7

Rotten Tomatoes 100%

あらすじ:田舎もんと都会もんが入れ替わる。

新海フリークとして、一日のサービスデーにTOHO新宿、満席の中での鑑賞。

ザックリと感想を。

これは!超!面白そう!

惜しいというのが率直な感想です。かなり好みの設定シチュエーションが山盛りで展開していくのに、何一つ呼吸に合わずに終わっていき、いろいろと面白そうな要素の詰め合わせを見たなーといった気持でした。しかし、美麗なビジュアルは勿論のこと、はまりにはまったキャスト、感情を底上げする音楽、それらが一体となった雰囲気に乗ることができれば他では味わえない感動が味わえるはずです。(乗れたら感動できるって当然だね)

話は分からないけど、雰囲気はわかる脚本。

『シン・ゴジラ』を見ているとき、(専門用語が多すぎて)何言っているかわからないけど、何をすべきは大体わかる。ものすごい整理された脚本に感心した。

『君の名は。』について言えば、話や流れよりも、雰囲気のわかりやすさを一番の命題においているかのようだった。

SFとしては穴が多いどころかまったく説明はされない。しかし、そのシチュエーションがキュンキュンンくるってぇのはわからなくもない。

“すれ違い”の理屈はよくわからないし、なぜ気付かなかったのかも説明されない。しかし、切ねぇってのはわからなくもない。

その雰囲気に酔いしれろ。

映画の導入部で、テレビアニメのオープニングよろしく全編のイメージ映像が入る。このあたりはもう確信犯的に、ストーリーテリングよりも雰囲気を重視している。

偶然なのか確信犯的なのか、ストーリー展開や設定など脚本面でかなりの部分に粗があるが、その粗と重なるかのようにいい雰囲気も配置されている。

ガッタガタ脚本の凸凹道を、新海誠の圧倒的な雰囲気ロードローラーで整地していくような構成になっている。

粗も矛盾も、そのすべてを押し切るような圧倒的雰囲気力は、さすが新海誠。

特にクライマックスの展開が一番難があり。よくわからなったという意見も聞かれる場面。しかしそこに、シチュエーションとして、絵面としてのピークを持ってくることにより、お話の欠点を雰囲気で押し切るという荒業を披露している。さすが。

ほかの場面でもちらほら、話が全く分からないしつながらないが、雰囲気はいいというシーンが多い。

物語中の矛盾点、違和感が頂点に達するのと同時に、美麗な絵と演出により、それを封殺する。さらに今回は音楽の助けもあり、雰囲気力をさらに増強。やはり新海誠は雰囲気のバケモノだ。

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まとめると

とはいえやはり、ブラッシュアップされた脚本があればもっと傑作になったのは間違いない。

近年のディズニー映画の流れるような脚本に甘やかされた結果、ここまで凸凹の映画では話に集中できなくなってしまった。

でも新海監督も「お前みたいな屁理屈バカは相手にしてねぇよ映画通に不評でも、大きな層を狙いたかった」と言っているので意図的なものなんでしょうよ。

日本映画史に残る作品ではあるものの、結局のところ日本映画史ってのは、踊る大捜査線がはいるアレのことだろ、とかいって屁理屈をこねたくなるのです。

いやそんなに悪くないけどね。実際に見終わって超面白そうって思ったもの。

↓ネタバレ感想↓

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まず導入がおかしい。

観念的なモノローグで作品の雰囲気やテーマを伝えるのはいつものこと。

しかし、今回は、テレビアニメよろしく、RADWIMPSの曲とともにオープニング映像が入る。劇中の映像が挟まれ、予告編を見ていて、勘のいい人ならかなり映画の全容がわかってくるはず。

にもかかわらず、その予想しうる要素、謎を登場人物が把握するまでに異常にまどろっこしい手順をふんで作品全体を鈍重にしている。はっきりいってこのオープニングは不要だ。

好意的に見るなら、「これから雰囲気映画が始まるぜ!」という宣言なのかもしれない。だとしたら完全に見誤ってしまった。まじめに見てしまった。

チラ見せしてから本編が始まるため、のっけから異常にテンポが悪い。

何があろうとも、そうなるだろうなとしか思えない。中盤の衝撃の展開までには心が冷えていた。

観客と劇中人物の認知のバランス非常に悪く、展開の遅さにイライラさせられた。

まず、男主人公、瀧が目覚めると、女の体になっていたという場面から始まる。

瀧は、鏡を見て、自分が女になっているとわかり驚愕する。

すると場面が飛び、今度は、女主人公、

三葉が自分自身として目覚める。いつもの日常のようでいて周囲の視線がおかしいことに気づく。

ここの女主人公のパートがかなり長く感じられる。田舎の村の様子や、彼女の人間関係などを提示しながら、入れ替わっていたことの対する違和感に疑問を抱くというシーンを丁寧に描写する。

観客にとっては一回入れ替わった事実をはっきりと提示されてから、彼女が疑問を抱くシーンを延々と見せられるのでかなり間延びして感じる。

その上、入れ替わりのはずなのに、彼女が一度も男の体に入ったという描写がないのがおかしい。

まあそこも小ずるい利便性健忘設定のおかげで説明はされるけど、その記憶周りの小ずるい設定が、そういったディティールの甘さだけに影響しているのなら許すことができる。

とっても便利な、利便性健忘

今回の(話の都合上の)万能設定。入れ替わりから戻ると記憶が薄れていくというのは、作劇の言い訳として許容できるものだ。

SF的な物語は矛盾をいかにフォローするかも腕の見せ所。

ただし、本作はその小ズルい設定で泣かせようとしてくる。

大切な人を忘れてしまうというドラマ要素にも大きく依拠しているため、設定の甘さを許容すればするほど、ドラマに対しても白けてしまう。

それは観客が広い心で許容する問題であって、ついでに感動させようなんてのは、図々しいにもほどがある。

三葉が神事をおこない口噛み酒を造る。魂を分ける作業だと説明される。

理屈ではなく雰囲気で入れ替わりの要素を後押しできているいい設定だ。

口噛み酒の儀式を見て、感じの悪いクラスメートが気持ち悪いと聞こえよがしに言っている。

マイルドヤンキーのような土着不良たちらしき男女。今後こいつらを何とかする場面があるのだろう。

かと思いきや、あとあと女瀧が、威嚇で机を倒したらそれで怖気づいて映画から退場。

なんという英雄的行為だろうか、まさか机を倒すだなんて!!!

三葉は村に嫌気がさして、「東京のイケメン男子にしてください!」と叫ぶ。

そんな三葉の願いを叶えたかのように、心が瀧の体に移る。夢心地のまま、高校生男子として東京を満喫する。

この男三葉のシーンも、一見するとはじめての男の体にドギマギする面白シチュエーションだが、ちょっと待ってほしい。

これは(少なくとも)2回目

オープニング後に女瀧が目覚めて悲鳴を上げている場面。同時に東京では男三葉が悲鳴を上げているはず。

女瀧が、髪もとかさず学校に行っていたとき、東京には男三葉がいるはずだ。

記憶は薄れているとはいえ、2回目をこのような描き方をするのはかなりずるい。

そして、 違和感を底上げするのが瀧の友人二人。この友人もおかしい、親友の変化にいち早く気づき、女っぽい挙動にかわいいかもと言っているが、それは数日前にも あったことのはずだ。少なくとも1回以上。

バイト先でのやり取りについては、たまたま前回はシフトが入っていなかったと説明がつく。

これくらいの矛盾はまだいいとしても、神事を行い、鳥居の前で願いを叫ぶというファンタジー懇願シーンの前に入れ替わりが発生するのはよくない。

神秘性に頼る前に、奇跡が発生してしまっている。

バイト先の先輩、本来の瀧があこがれていた奥寺先輩のスカートを男三葉が繕ってあげることになる。

チンピラカッターは不要。

バイト先のレストランで、料理にいちゃもんをつけて、無銭飲食をたくらむチンピラが登場、食事代をただにさせただけでなく、なぜか奥寺先輩のスカートをカッターで傷つけていく。

これについてはだれがどう見ても不要。

傑作だと言っている人も、ここだけは同意してくれるだろう謎のチンピラ、無意味なカッター。

テレビ放送の際に一番にカットされるシーンだ。

単にスカートをどこかでひっかけて破れてしまったシーンとして成り立つ。なんの違和感もない。

そして、チンピラカッターの犠牲になったスカートを男三葉が縫い合わせる。いがいな特技に驚く奥寺先輩。

入れ替わってしまっているからこそ、それがきっかけで人間関係がまわりだす胸キュンシーンでも、チンピラカッターがいらないよなという疑念が名シーンの足を引っ張る。

男三葉は帰宅してスマホをみる。

瀧本人が日記をつけているのを見て、自分も今日の出来事を日記につづる。夢の中での出来事と思いながら。

観客にあらじめ、これは夢ではないという結論を与えてしまっているので、三葉が無駄に勘の悪い女に見えてしまう。

フツーの作劇だったら、何気ない日常かとおもいきや、周囲が腫れ物のように扱っているとか、ノートに不可解な書き込みがあるとか。

男になってしまったときは、それが現実だと確信する場面、 そういった話の広がっていく部分を大切に描写するはずだ。(リアルすぎるという実感はあっても夢だと思っているのは、やっぱりこの女鈍い)

わかりきった、または容易に想像できる結論を延々と引き伸ばされるシーンが多すぎる。

オープニング映像によって、さらに観客が先回りしてしまう部分を増やしてしまい更に鈍重に。

そのくせして、話が飛躍する段になると、いきなりダイジェスト化され、楽曲の雰囲気頼りのモンタージュで時間がぱっぱと進んでいく、一番面白そうなのに。

二人は入れ替わりをかさね、日記でのやり取りをしながら、協力し合ったり、時に好き勝手にやりすごしていく。

実は入れ替わりの中で、日時がずれている仕掛けがある。しかし、二人は一向に気づかない。

この日々の流れに違和感を感じる人は多い。大絶賛のひとでも、なぜ気づかないと必ずツッコミを入れている。

どうせ記憶が薄れるのだから、寝る直前に、曜日や年月日の違和感に気が付いて、寝落ち→何か重大なことを忘れているような、日記に書き忘れたような気がする。という場面を入れておけばいい。作中一切触れないということは、この設定のまま逃げ切れると思ったのだろうか。

2回目の鑑賞時に違和感から逃げられるかのように 「前前前世」が流れる。

全体を通して、雰囲気のゴリ押しなため、こまかいコモンセンスへの気配りが足りず。大きな粗も残っている。

また意外に気付きにくい点だが、ここまでの場面で男主人公瀧は女の体になって悲鳴を上げる1シーンしか登場していない。

これにより、入れ替わりものとしての面白さがそこまで発揮されていない。

特に映画の見過ぎで、おもしろ要素にたいして先回りして期待してしまう人にとってはがっかりさせられることだろう。

先述のように、瀧人格の三葉の行動はあとから聞かされるだけで実際のシーンはない。

逆に、三葉人格の瀧の場面はかなりの時間が割かれている。

これにより神木隆之介の全力の女の子演技が発揮されファンにはたまらないし、そうでなくともコメディとして優秀な場面に仕上がっている。そして、三葉の人物像の掘り下げに成功している。

反面、瀧人格の三葉の登場シーンは驚くほど少ない。

入れ替わりに順応して、互いに日記で情報交換するようになり、その事後報告としてダイジェストとして描かれるばかり。

それにより、上白石萌音の男演技はそれほど堪能できないし、瀧のキャラクター描写にさく時間が、三葉に比べかなり劣っている。

役者としては、女演技を炸裂させる神木隆之介 のほうがおいしくて、キャラクターとしては、時間を割かれている三葉のほうがおいしいという構造に。

このアンバランスさで、恋愛モノとしての強度は著しく弱くなり、クライマックスの情緒的な部分でのカタルシスが大きくそがれる。

そして、入れ替わりダイジェストのモンタージュ場面で、メインテーマともいえる「前前前世」が流れる。加速度的に、物語がスピードをまし、いくつもの場 面で入れ替わっての行動、瀧と三葉のリアクション。周囲の反応。情報力が爆発的に増える中、歌詞を頭に入れる余裕なんて一切ない。

なにより使用するタイミングがしっくりこない。オープニングでもエンディングでもクライマックスでもなく、ダイジェスト部で。ここなの?

やはり楽曲も雰囲気重視なため、しっかりと聞き入る場面は少ない。

音声バランスもどっち付かずで、セリフを聞かせたいのか、音楽を聞かせたいのかわからない。

男三葉の立ち回りのおかげで、瀧があこがれていた奥寺先輩とのデートにこぎつける。そしてデート当日は、入れ替わりが発生せず瀧本人が出向くことに

一方、三葉は、今頃デートに出向く瀧を思い浮かべ不意に涙を流す。

そこまでか、愛してしまったのだなぁ。

とは雰囲気でわかるが、いったいなぜそこまでなのかはいっさいわからない。

もしかしたら、1順目ではないという考察も可能だが、そんなことをいいだしたらきりはないしね。

好きになるのに理由はいらない。雰囲気があればいい。

もしかして奥寺先輩を口説くために瀧の旅行計画を利用したのではないか!